夏が僕らを追いかける
「なあ、岳人。いまさらなんやけど、な」
「んあ? なに?」
「なんで俺ら、二ケツでチャリ乗っとん、のか、な?」
「二ケツじゃないだろ。俺、立ってるし」
「あんな、これも、いまさら、やけど、ステップって違法、やで、と、知っとった?」
「え、まじで!? 早く言えよ、やばいじゃんっ! 捕まったら出場辞退とかなるわけ!? どーすんだよ!」
「跳ねるな、岳人、平気や平気、問題ない。そんなことないから、危ないし大人しゅうしといて」
「ほんとだな? ほんとに大丈夫なんだな?」
「大丈夫やって。注意される、くらいやろ」
「なんだよ、心配させんなよなー」
「はいはい、すんません、ね。そんでな、岳人。話、戻すけど」
「おうっ・・・・・・って、あれ? なんだっけ?」
「なんだっけ、じゃない、ですよー」
「えへへへへ」
「えへへ、やないわ」
「まあいいじゃん。んで、なんだよ、ゆーし」
「せやから、な」
 前を向いたまま、ペダルにかけた足は動かしたまま。
「なんで、俺はこんな日に、」
 貴重で希少なオフの日に。
「がっくん乗っけて、」
 背中に岳人という錘を背負って。
「必死でチャリ漕いでるんですかーて聞いてんの!」
 急坂! しかも上り! しかも雨上がり! 滑るっちゅうねん!
「はあ? 俺、最初にちゃんと言ったじゃん」
 背中に響く、余裕のある声が憎らしい。
「これから忙しくなんだから、一足早く夏休みっぽいことしようぜ、って。あれ? 言ったよな?」
「言った、聞いた」
「だったらいいじゃん。お、頑張れゆーし、もうちょっとで終わるぞ」
 肩口から伸びてきた人差し指の先には、長かった坂の終わり。
「これの、どこが、夏休み、やっちゅう、ねん」
 見渡す限りの住宅街。見慣れた町並み。海も山もありゃしない。
「たまには、こんなんもよくねえ? 中学生日記っぽくて」
「なんで、中学生日記、で、がっくん乗せな、あかんねん」
「んー・・・・・・あれだ! 男の友情!」
「そんなん、やなくて、もっとなんか、ないのん?」
「・・・・・・っ! そんなんってなんだよ! もっとなんかってなんだよ!」
 肩をつかまれて、揺さぶられる。ハンドルがぶれる、蛇行する、バランスが崩れる。
 スムーズに進まないチャリもうざいが、それ以上に岳人がうざい。
「俺が相手でなんか文句あんのかよ! くそくそゆーし!」
「ないない、そんなこと、あるわけないやろ」
 あるある。大いにあるわ、あるに決まってる。しかも、岳人が相手とか、おかしなこと言わんといて。
「そうやなく、てな、」
 でもここでなんか言うても、子供に癇癪起こさせるだけやし。
「今時、中学生、日記、でも、二ケツはない、んちゃうか、なあ、とか」
 岳人が相手やなくても、今時なしやろ、と大いに思てまうし。
「そっかー?」
「それに、せっかくやったら、海とか山とか、これぞ夏、て方が岳人も楽しいんちゃうかなあ、とか」
「まあ、それもそうだけど」
 て言うか、俺もそのほうがなんぼましか分からんし。
「こんな、ご機嫌斜めの天気で、住宅街、走ってても、どっこも夏や、ない、やんか」
 ああ、めんどくさい。
 なんで俺は、こんなに必死に岳人の機嫌とってんのやろ。
 なんで岳人は、なあんも気が付かへんのやろ、この鈍感。
 なんで俺は、岳人の誘いに乗ったんやろ。こんなことやって知らんかったとはいえ。
 なんで岳人は、俺を誘ったんやろ。断られるなんて思いもしいひんだんやろなあ。
 ああ、ほんまにめんどくさい。
「でもさあ、侑士」
「ん?」
 肩をぽんと叩かれる。
「だってさ、まだ、夏じゃねえじゃん」
「そーですねー」
「だからまだ、夏らしくなくていいんじゃね?」
「は? わるい、分かるように言って、くれへん、か」
 だから、とまた岳人が言う。



「どうせ夏らしいことなんて、今年はできっこねえんだからさ。夏じゃなくて、夏っぽいでいーんだよ」



 思わず後ろを振り返る。スローなチャリが、大きく傾く。
「うぁ! ゆーし、前向けっ! ふんばれっ!」
 返した首を強引に前に戻される。一瞬だけ見えたのは、岳人の焦り顔。
「・・・・・・岳人」
「んだよ、あっぶねえなあ」
 なんやねんと言いたいのは、俺の方だ。
「がっくん」
「んだから、なんだよ」
 ほんまなんやねん、この天然。
「……かなんわあ、」
 足が軽くなった気がするのは、気のせいだ。
「ん? なに? なんか言った?」
「そうやんなあ、夏は長い方がええもんなあ」
 頂上が近くなった気がするのも、錯覚だ。
 それでも。
「まさに中学生日記、まさに男の友情。がっくん、かっこいー」
「なあ、どーしたんだよ。俺、わけわかんねえんだけど」
「惚れるわ、ほんま」
「きもちわるいこと、言うなっ!」
「あらま、俺が相手じゃ、ご不満?」
「!!!」
 くそみそ言いながら首を締めてくる岳人は、相変わらずうざい。めんどくさい。
 それでも、もう。背中で岳人が暴れても、ハンドルはぶれない、蛇行しない、バランスは崩れない。
 最後の一漕ぎで、あっけなく坂を上りきる。
 いったん足を下ろして一息つく。振り返ったそこには、顰め面。
「掴まっときや。一気にで行くで」



「夏に追い越されるわけには、行かへんし」



 そういうことやろ、この天然たらし。
 この夏は、夏らしいことをする暇、ないんやろ。
 山行ったり、海行ったり、どっかの姉ちゃんとニケツしたり。
 そんなことしてる暇もない、夏になるんやろ?
 わけがわからない。そう言いたげに岳人は、呆れたように首を傾げている。
「暑さにやられたのか? そんなに暑くねえよな、今日」
「ええから、掴まれ。行くで」
「お、おうっ」
 下り坂。軽く蹴りだしただけなのに、二ケツのチャリはあっというまにトップギアに入る。
「なあ、岳人、いまさらもいまさらやけどな」
「んあ? なに?」
「俺らが、二ケツでチャリ乗っとんのはこの際どうでもええわ」
「だから、二ケツじゃないって。俺、立ってるし」
「それも、どうでもええって」
「ま、そうだけど」
「これのどこいらへんが、夏っぽいんか、俺、やっぱり分からへんのやけど」
 教えてくれへんか、と言えば、しばらく笑い声だけが聞こえて。
「俺も、よく分かんねえ!」
「なにそれ」
「いいじゃん、別にさ」
 肩口から伸びてきた人差し指の先には、あっという間に近づいてくるフラット。
「漕げ!ゆーしっ!」
 上機嫌な岳人の声に、浮かしていた両足をペダルへ戻す。
 簡単に追いつかれて、追い越されるわけにはいかない。
 徐々に速度を失っていくペダルを踏み込む。
 トップスピードのまま駆け抜けてやる。
 その準備は、とっくに出来ている。


 ――― 俺たちの夏が、始まる。