名前はフルネームで書ける
巽 完二

名前はフルネームで書けるよ、と言ったら、は?て顔をした。

タツミ カンジ

カンニなんて読んだりしないよ、と言ったら、は?て顔をした。また、した。

出席番号は18番。真ん中よりちょっと前だね。ちなみに出席日数足りてないよ?分かってる?自覚してる?二学期で随分盛り返したみたいだけど、芸能活動で休みがちだったわたしより足りてないんだから。三学期はもっとちゃんとしなきゃね!がんばろー!と言ったら、はあ?って顔をした。

ついでに声も出た。

「はあ?」
「はあ?……はあ、もういい」
「なに?なになに?」
「もういいって言ってるじゃん」
「なにがいいんだよ、なあ、ちょっと……おい、りせ」
「わたしの名前は、りせ、じゃありませんー」
「あ?」
「り、りせ、ですー」
「は、あ?」
「完二のバーカ」
「はあ?……んだよ、なんなんだよ」

オマエ、どうしたんだよ、今日、さっぱりわかんねえよ、わけわかんねえっての。

ぼやく声に、わけわかんないのはこっちだっていうの、心の中でぼやき返す。わけわかんないよ、好きならいけばいいじゃん。先輩のところでも、クマくんのところでも。

直斗くんのところでも、どこでも、好きなところにいけばいいじゃない。

どうして、当たり前みたいな顔をしてそこに座ってんのよ。そこ吉田くんの席だから。席替えのとき、ものすごく吉田くん喜んでたんだから。オマエの前かよ、とか完二が言いそうなことぜんぜん言わずに、すっごい喜んでたんだから!

……そんなこと、完二は知らないだろうけど。ぜんぜん、知らないだろうけど。

「……ああ、もう、あーもー!」
「へ?え?オマエ、マジで、なに?」
「なんでもない」
「や、でも」
「なんでもないって言ってんでしょ!」
「や、そうはいってもだな」
「なんでもないったら、なんでもない、ほら、先輩んとこ行こ、早いとこ解決しなきゃ」

言いたくない。言いたくないのに。ぜんぜん言いたくないのに、勝手に口が動く。

「直斗くん、呼んできてよ」
「え、な、なおと?」
「そう、な、なおと、くん!」

完二の大好きな、大好きな、直斗くん、だよ。

心の中で口にしたら、泣けてきた。
「早く!ほら、早く!一分も、一秒も、無駄になんか出来ないんだから!」
「……お、おう」
「早く!」
音をたてて、吉田くんの椅子から立ち上がった完二の背中を押す。ぐい、と押す。振り返る余裕なんてあげない。さっさと行けばいい。さっさと行ってほしい。

こんな顔、完二には、見せられない。

見せたくない。

制服の裾を翻して、完二は駆けていく。きっと、廊下で誰かに捕まっている直斗くんを見つけて、直斗くんを捕まえていた誰かは完二に怖れて、どこかに行ってしまうに違いない。直斗くんは、あ、とその呆気ない状況に少しだけ戸惑って、けれど、少しずつ心を許し始めた完二の存在と、結果的に助けられた事実を正確に受け止めて、ほんの少し、ほんの少しだけ頬を緩めたりするんだ。

完二はそれを、見逃したりしない。絶対に見逃さない。

それから、「な、なおと、」って。口ごもりながら名前を呼んで、「りせが、呼んで来いって」って、わたしの名前は、すんなり音にして、それから……

それから―――

いてもたってもいられなくなって、走り出す。完二が出て行った教壇側の扉とは反対の戸を開けて、左を見る余裕もなく、走る。下駄箱を横目に階段を駆け上がる。
一階と二階、面対称の教室に先輩はまだいるだろうか。周りには誰か、花村先輩や千枝先輩は、まだいるのだろうか。
いたって、構わない。きっと、先輩しか気付かない。りせちーをやってたのは伊達じゃない。でも、先輩には気付かれるに違いない。
誰かいれば、後から。誰もいなければ、おいで、と場所を変えて。どうかしたか?って、先輩は聞くに違いない。大丈夫、なんでもないよ、なにも心配しなくていいんだよって顔をして、聞くんだ。

先輩

先輩、わたし、どうしたらいいのか分からないよ

だって、わたし





わたし、完二の名前はフルネームで書けるんだよ