赤裸々ポンチ

某月某日

 快晴。早朝、虎舎を訪れる。齢幼き剣牙虎が複数入舎したこともあり、騒がしい。その中でも平時と変わらぬ落ち着きを見せる隕鉄に出迎えられる。さすがに古参であり、貫禄さえ感じる。器量に優れた剣牙虎とはこのようなものであるのだと、改めて認識を強くする。

 定刻。有事における展開と、配置に関する訓練が行われる。
 私的な見解であるが、些かこの訓練を行うには、時期尚早であったように思われてならない。年嵩いかぬ剣牙虎はともかく、実戦経験の浅いもの、さらには、実戦経験のないものも多く、一例ではあるが、蝶が飛んだといっては、それを追い掛け回すような有様では、訓練もその意味をなさない。
 本日に関していえば、そのような様子が多々見受けられた。隊全体としての訓練を行うことの重要性について、疑う余地はない。しかし、よりその有用性を高めるのであれば、各剣牙虎に沿った水準の訓練を行うことも、選択肢の一つに入れるべきであると思量する。我が剣牙虎、隕鉄については、まったくの問題はなかった。それどころか、幼いばかりに軽率に行動する剣牙虎を抑制する役目までを担えるようになったことを、加えて記す。
 思い返してみれば、隕鉄にも頑是無く幼い時期があり、やはり蝶が舞っただけで辺りを駆け回るようなあどけなく幼い一面もあった。どのように律しても、それは抑えようのない衝動であろう。己の在りし日を思い返すまでもなく、人と獣の境のないものと思われる。であるならば、隕鉄がそうであったように、愛情深く、それを受け入れ、たしなめ、そして導いていくことこそが、幼い剣牙虎たちに健やかな成長を促すものであると信じてやまない。ただし、剣牙虎の個体の差および対となる剣虎兵との相性の良し悪しによって、相乗的に成長度合いが変化する事実を鑑みたとき、隕鉄とまったく同じやり方をとったとしても、同様の成長が約束されるものではないことは明らかであり、その点を熟考いただいた上で、今後の判断を下すのが良策であると考える。

 夕刻。本日の訓練を終え、些か不安を覚える事あり。再び虎舎を訪れる。
 まず、本日の訓練において優れた実績を残した隕鉄もまた、いまだ齢幼きもののうちの一頭であるという事実を記しておきたい。また、隕鉄の異常は、どんなに些細なものであったとしても、常に行動を共にする自分であれば、瑣末な事象でも感じ、気付くものであることも、付け加える。それは、なにも特別なことではない。それは愛ゆえに分かることであるというのは簡単であるが、あえて務めであるから解するものだと記しておく。よって虎舎を訪れたのは、私的な理由ではなく、偏に隕鉄の疲労具合について己の目で確かめるためであった。
 虎舎にて体を伏せ休む隕鉄に迎えられる。その姿は気高く優雅であった。既に目を開き、頭をもたげこちらを向いていたことは、足音のみで、さらにはその気配を逸早く感じ取って自分の来訪を感知していた証であり、他に類を見ない賢知を持つこと疑う余地なし。近づくと裾を噛み、引かれ、倒されるように腰を下ろすことになったわけだが、このような甘えた仕草はある時を境として、昨今では見ることのなかったものだ。ある時については記すことを控える。先だって報告の通りである。
 引き込まれた先にある毛並みは常の通り、極上の触り心地であった。また、覗き込まれた金の眼ににごりはなく、澄み切っていて一対の宝石のような輝きを宿していた。これらのことから、隕鉄の健康状態については、まったく問題ないことが判明した。しかしながら、すり寄せてきた体躯を離すことなく甘える仕草に、これ以上はない愛しさを覚えると同時に、隕鉄の精神的疲労度合いが高い状態にあることを知ったとき、毅然と振舞いつづけた訓練中を思い返し、誇らしく思う一方でその我慢強さを不憫にも思う。優れたものほど気苦労に耐えない。これは古今東西世の理である。
 注意深く本日の訓練での有様を辿ってみれば、優れた才を見せつけ、証明してみせた隕鉄の歩みが、ただ一度だけ乱れることがあった。如何なる理由があろうとも、有事においてこのようなことが許されるわけもなく、これについては、隕鉄には十分に言って聞かせ、隕鉄も殊勝な態度で頷いていたことから、今後についての心配はまったくない。隕鉄は人の言葉をよく理解する、大変利巧な剣牙虎である。
 されど、あらゆる方向から隕鉄のとった行動を深く掘り下げ、分析を繰り返す程に、その行動はまさしく、有能な隕鉄が見せた、年若き剣牙虎への気遣いであると考えるのが自然であり、適当な解釈であるという確信を得るに至った。すなわち、隕鉄ですら、人の齢に比ぶるなら、いまだ遊び盛りの年頃なのだ。隕鉄ですらそうであるのだから、他の剣牙虎にいたっては、論ずるべくもない。そして、本能のままに蝶を追う剣牙虎はよろしいが、隕鉄は場を弁え、行動する能ある剣牙虎であるからして、より一層重い精神的疲労を覚えるのも致し方ない。隕鉄が足を止めたのは、野に咲く一輪の花を避けるためであった。僅かに歩をそらし、そして踏み潰すことのなかった野の花に、鼻を寄せ目を細めたからであった。心優しく、また、情緒を、風情を知る、なんとも稀有な剣牙虎である。この優しさを備える隕鉄が、不必要な怒号飛ぶ訓練でその心を痛めないわけがあるだろうか。
 繰り返しになるが、隕鉄ですらそうであるのだ。隕鉄はその歩みを止めることで、現状の問題点(言うまでもなく、いまだ彼の訓練を行う基準に達しない剣牙虎の存在がいることを、であるが)を我々に示したのである。我々はこの貴重な剣牙虎から得た教訓を活かさなければならない。そして今後に確実に繋ぎ、向上せねばならない。以上から、繊細な剣牙虎の肉体的、精神的疲労を最小限におさえるためにも、今後行われる訓練について、計画自体の再考が必要であると考える。

 虎舎消灯。幼子に戻ったかのように自分を離さない隕鉄に後ろ髪を引かれながらも、兵舎に戻る。たった一言を言って聞かせただけで体躯を離した隕鉄の聞き分けの良さに関心しつつも、まだ子供だという事実を考えるとき、再び陽が昇るまで傍らによりそってやることのできない己の不甲斐なさ、心無い対応を兵舎に戻り、深く反省する。
 願わくば、このような状況において柔軟に剣牙虎に接すること(例えば、夜半、虎舎に詰める場合は兵舎へ戻る必要なし、等)を認めていただきたい。これが、剣牙虎の成長度合いを速め、しいては剣虎隊の発展を約束する、絶対不可欠な要件であることは疑う余地のないものであるからして、強く主張し、可及的速やかな改善を望むものである。
 以上

 独立捜索剣虎兵第十一大隊 新城直衛中尉殿
   同少尉 西田 記す




「西田」
「あれ、先輩もう読んだんですか。早いですね」
「やり直し」
「えー、なんでですか」
「えーじゃない、えーじゃ。なんだこれは」
「業務日報です」
「これのどこが、業務、日報なんだ」
「これのどこが、業務、日報じゃないというんですか」
「ほお、お前はどこまでもこれが、業務、日報だというんだな」
「うーん、すみません、どこまでもかといわれると、多少は私的所感も入っているような気がしますが……でも日報って、そもそも、そんなものじゃないんですか?」
「なるほどな、書き直し」
「と言われましても」
「やれ」
「他に書くことがないんですが」
「ばかもの」
「力作なのに」
「もっと悪い」
 一つ息をついて、新城が黙り込む。そんなにおかしな内容だっただろうか。きちんと言葉遣いにも気をつけたはずなのに。どこがいけなかったんだろう。事実のみを簡潔に書いたはずなのに。
 しばし考えて思い至る。もしかすると。
「先輩」
「なんだ」
「やっぱり、あそこがまずかったんでしょうか」
「あそことはどこだ」
「あの、ちょっと私的になってしまったところ」
「ちょっと、じゃなくて、ほとんどが私情じゃないか」
「そんなことはないはずです」
「どの口がそんなことを言うんだ」
「うわ、ひぇんはいやめれくらはい」
「もう一度。一度と言わず、分かるまで読み直せ」
 それから、西田。
 伸ばした手を戻し、振りながら、新城が言った。
「書きあがるまで、僕に顔をみせるな、……いや、それよりも」
 西田、ともう一度言われて、はい、と背筋を伸ばす。
「終わるまで、虎舎にいくんじゃない。いいな」
「えーそんな」
「これは、」
 命令だ。
 短く、有無を言わさず告げられて、仕方なく敬礼の姿勢をとった。新城はあっという間にその場を去る。
「まいったな」
 これは少々まじめに考えなくてはいけない。
 日報うんぬんでどうこう言われること自体は、なんの戸惑いもないし、書き直すことにも躊躇いはないけれど。
 あれに会えないというのは、どうにも困る。
「だって、ほんとうに疲れてたんですよ、あいつ、昨日……」
 つき返された紙面を手にした西田の口から、深いため息がこぼれ落ちる。
 けれど、悩んでいても仕方がない。ほんの僅かな時間も、今は惜しい。
 一瞬の後には、気を取り直すように手近の椅子を引き、机に向かう。
 早く書き直さなければ。そして、求められるように書かなくてはいけない。
 それが、多少、事実と違っても。西田の思考とかけ離れていても。
 報告書など、それでいい。それよりも。
「昼までに終わるかなあ」
 真新しい白紙を取り出すと、西田は暫し空を見つめる。
 そして、一つ頷くと、一心に筆を動かし始めた。