下手な恋よりずっといい
「立てるか、せらー……たくどんだけ飲んだんだよ、ばかやろう」
「や……むり、吐く、まじ吐く」
「ちょっと待った!ここで吐くのはなし」
「う、わあ……ユリさん、え、げつな……」
「自業自得でしょ」
「あーはいはい、とにかく移動すっぞ」
 後は任せとけ的な視線をもらって、立ち上がる。世良くんは片付いた。
 次は、と視線を向けた先で、バツをもらう。
「まじ、むりっす」
「むり、って……そんなに飲んでないでしょ」
 赤崎くんも、椿くんも。
 注意して見ていたわけではないけれど、どうやらその推測は正しかったらしい。でも、むりっす。もう一度言われて、諦めた。
 壁際にもたれて眠る椿くんのお守りは、赤崎くんに託すしかないらしい。
「あ、れ……夏木さんは?」
 くるりと見渡した先に、急ピッチでグラスを空けていたはずの要注意人物が見当たらない。
「帰りました」
「帰った、って……どうやって」
「王子が連れていきましたけど」
「はい?」
 思わず聞き返す。まさか、私まで酔いが回っているなんて。いやいや、そんなことは有り得ない。たった三杯、こんなのは、「飲んだ」に入らない。
 パンプスを探す束の間ももったいなくて、つっかけを引っ掛けておもてに出る。
「……夏木さん!」
 王子、と言わなかったのは、どうしてだろう。呼びなれていない単語だからかもしれないし、心配する必要性があるのかどうかも分からない、そんな存在だからかもしれない。
「お、う、っほー!」
 奇声を上げて夏木さんが振り返る。
「ゆーりちゃーん!」
「ちょ、ちょっと……大丈夫ですか?」
 縺れた足を庇うように、王子の肩がすいと動いた。
「……大変だねえ、広報も」
「いえ、まあ……仕事ですから」
「そう、お疲れさま」
 ナッツのことは、気にしなくていいから。
「それにねえ……久しぶりに、あの娘に会いたい気分なんだ」
 ふふ、と笑って王子と、王子に連れられた自由奔放な従者が消える。「あの娘」は夏木さんの娘であって、夏木さんの奥さんだなんていう泥沼は考えたくもない、と思った瞬間に思い出した。
 そう言えば、この二人は、同年代……縁が深かったなあ、と。

 酔っ払いは昔から、見飽きるほどに目にしてきて。
 いっそ、酔っ払いなんていう生き物は、この世からいなくなってしまえばいいと、そう思うほどだけれど。

 それでも、こんなとき、思わずにはいられない。

 たまには、いいじゃないか。

「それじゃ、お休み」
 片方の腕でチームメイトを支えながら、片方の手をひらりと振って歩いていく彼がいて。
「おっら、世良、歩けって!」
 小さな年少者を、僅かに大きいだけの小さな身体で引きずっていく年長者がいて。
「……飲みすぎなんだよ、お前は」
 壁にもたれた若者の隣で、少しも飲まない若者が、小さくぼやく。

 こういうのって……ちょっと、いいじゃないか。

 しみじみと思った背中を、あっけらかんとした声が通り過ぎる。
「ちょっと、加減したらどう?」
「加減?」
「宮野のせいで、何人いったと思ってんの」
「俺、のせい、かなあ……?」
「間違いないね、てか、みんな弱すぎだけど」
「そりゃあ、矢野くんに比べたら」
「宮野に比べたら、だから」
「そうかなあ……」
「そうなの」
 即座に、これは、とインプットして。
「矢野くん、宮野くんは、ぜんっぜん、大丈夫そうだね」
 念押しで一言。
 広報としての知識を蓄積しようとしたのか、居酒屋の娘としての経験がそうさせたのか。
 答えなんて定かではないけれど。
「ぜんぜん」
「問題ないっす」
 にこりと笑った笑顔に、そう、と返した。

 ああ……ほんとうに。
 ちょっと……いや、かなり、いいじゃないか。


 よたよたと、歩いていく背中を。
 しっかりと、歩いていく背中を。

 見送りながら、思った。

 お疲れさまでした。

 また、しばらくの後にやってくる闘いの日まで、どうか――――



 ――――おやすみなさい