「ばかだばかだとは思ってたけどほんとにばかだよねおたくの隊長」
ついさっきまで酸欠でぶっ倒れていたはずの人がいつの間にか横にいる。
まったくしぶといおっさんだ。
「あははっ、確かに」
「お前がどうにかしなきゃいけないんじゃないの。大口副隊長、さあ」
「一ノ宮副隊長でもどうにもならなかったものをそんな簡単には、ねえ」
「だよなあ」
「んなこともないっすけどね」
「どっちだよ」
「まあまあ、」
見ててくださいよ。
この人のことを食わせものだとか読めない人だとか思っていたのは、もう昔のことだ。今は違う。ほんの少しの軽口を交わして、それから仕掛けてくるジャブに軽く応えればいい。そう、それだけで良い。
勝手にこの人は話し出す。まあ本人からしてみれば、話してやっているんだと主張するかもしれないけれど。そんなことは俺の知ったことじゃない。
「お前も気をつけとけよ。追い越したい背中は追いつけなくなったらおしまい、だからな」
「追いつけなかったら追い越すもなにもないし、なんすかそれ、とんちとか」
「ばーか」
ばーかじゃねえっての。
分かって言ってんのも分かんないの、ばーか。と一瞬思ったけれど、分かられてるのか分かられてないのかは実は俺の中では微妙なライン。その辺は読めていないし、読ませてもらえない。
「同じ土俵に立ってる時間なんて短いのよ。手段なんて選んでたらあっという間にジ・エンド。土俵変われば追いつきたくても追いつけない、追い越したくても追い越せない。負け続けの劣等感だけが残るってね」
肩に手を回してぐっと俺を引き寄せて(きもちわりい)、顔を近づけて言う。
「せいぜいケツ叩くんだな、おたくのくそ甘い隊長さんの」
んでさ、と鼻をほじる(きたねえっての)。どこのおっさんだよあんたほんとと思う。
「お前も肝に命じとけよ、大口、副隊長」
ふふんと鼻を鳴らしてなにもなかったように歩き出すのは、その人のいつものパターンだったけれど。
言われっぱなしもやらっぱなしも性に合わない。
だから言った。
「一ノ宮さんこそやばいんじゃないんですか。もう崖っぷちでしょ」
足が止まる。そして振り返る。
「俺はいいのよ、俺は。追いかけられる専門だから」
振り返らせることには成功したけれど、その顔からはなにも読み取れない。
ポーカーフェイスなのかもしれないし、なにも考えていないだけのような気もする。
「まあなあ」
笑う。
これは本気では笑っていない。それだけは分かった。
いや、分かるように笑ってみせたのだろうか。分からない。
「追いつかれる気がさらさらしないんだよね。困ったことに」
けれど、振り返らせたのではなくて、振り返られた、のだということは分かってしまった。
いや違う。分からされて、しまった。
「さあて。うちの隊長のケツでも蹴飛ばしてくるかね」
遠ざかるかつての上司というか、あのおっさんは、まさに今、俺が追い越さなければいけない背中を持つ一人だということと。
その張本人から、他でもなく俺が煽られていたのだということに気付かされてしまったなら、どこに潜んでいたのかは分からないけれど、口から息がついて出た。
やっぱりあれは食わせものだ。認めたくはないけれど。